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敏感ペットボトル

分別の基準はあいまいです。「燃えないごみが燃える日」というブログのサブブログです。

プライドが高い僕の自虐ネタ論

「自虐ネタは防衛機制です」とTwitterでつぶやいたところ、大学でもとりわけ美人な、それでいてどこかズレたテンションの高さから周りの同級生に馴染めていないクラスメートの女の子にお気に入りされて、彼女の闇の深さを感じました・・・。

 

僕は同世代の人間の間でも特別頻繁に自虐ネタを使う。それはブログなどのネット上だけでなく、実生活の中でも。自分の欠点をジョークにすり替える思考回路は長年をかけていつしか習慣となり、それはいくらか僕自身の精神発達にマイナスに働いてきたように思う。

 

僕の自虐ネタデビューは中学3年生のときだったように記憶している。今現在と同じようにあらゆる物事に対して無気力になり、学校の勉強の成績が露骨に低迷しはじめた頃だった。特に社会科に関してどうしても興味が持てず、クラス最低点をテストのたびに叩きだし、先生を呆れさせた。僕はその不名誉を恥じる気持ちのやり切れなさを誤魔化すためにあえて、試験が返却されるやいなや、自らが答案用紙に書き込んだ不正解の珍回答を周囲にお披露目し、笑いを誘おうと試みた。あまり詳しい状況は覚えていないが、クラスメートにはそこそこウケていたんじゃないだろうか。この手応えを僕は自分のマイナスな部分がプラスに昇華された瞬間であると捉え、とても爽やかな気持ちになったことを覚えている。自分の欠点。努力できないこと、無気力なところ。その結果として、あらゆる分野で他より能力が劣ること。学業、スポーツ、恋愛、容姿、交友。自分の感じた限界を重く捉えずに済むように、そして笑いというプラスの現象に変えてしまうために、この経験の以降、僕はあらゆる場面で自虐に励んだ。

 

今現在の、留年の危機に瀕した自分の境遇でも同じことをやっている。2ちゃんねるに代表されるネットの世界やテレビでウケているラッスンゴレライほどは笑いのハードルの高くない我が大学界隈で、僕の自虐ネタは恥知らずにも猛威を振るっている。成績不振を、留年するらしいという噂が立てられていることを、再試費用が馬鹿にならないことを全てジョークにする。僕は中学時代から培った面の皮の厚さで、ある種の“クラスの面白い人キャラ”をものにしたのである。心の中では毎日泣いている。もちろん単に面白がられることよりも、小馬鹿にしたような、軽蔑を含んだ眼差しが送られることの方が多いのだろう。しかしそれで構わない。明るい馬鹿を演じられれば、少なくとも僕のメンタルは十分に安定するのだ。みんな、大いに笑って僕の存在を肯定してくれ、と。ちなみに僕と親しい友人ほど「笑えない」と言ってくれるあたり、相手が僕の現状をそこまで真剣にとらえてくれていない方が笑いは取れるようだ。親友は、僕が自虐ネタをかますととても悲しそうな顔をして愛想笑いをする。書いていて泣けてきてしまう。

 

笑いを取ろうとするモチベーションはコンプレックスの裏返し。自虐ネタは防衛機制。中学時代のケースでみても、今回の成績不振でみても、いくらネタでクラスの女の子を笑顔にしたところで、僕には一銭の儲けもない。テストの成績が上がるわけでも、学費の援助が受けられるわけでもない。こんな哀れな自己表現に創意工夫する暇があるならばもっと己を磨くべきである。さらには長年をかけて完成したこの思考回路が情操の根本にはどう考えても毒でしかないということは、冒頭の繰り返しである。それでも心の弱い僕は凄惨な現実が手軽に笑いに転換できるというのならば、染みついた習慣として思わず反射的に、自虐ネタに手を出してしまうのである。たとえこれがその場しのぎの現実逃避だとしても、堕落の速度を変えることに一切関与しないと分かっていても。別に開き直っているわけでもなく、本当は現状を打破したいと常々思っているのだが、どうしても、やめられない。一種の麻薬である。

 

自虐ネタの自己防衛のパターンとして、相手からの“弄り”をシールドで防ぐことができる、というもうひとつの意義がある。僕はこのような道化でありながら、根底では自尊心がとても強く、他から貶されるようなことは我慢ならない性分である。そんなとき、僕は「ここまでなら弄っても笑って返せますよ」というラインをあえて自虐することで提示することができる。「逆にここからは内側には入ってくるなよ。マジで傷つくから弄るのはやめて」というギリギリの線引きを自分で、無意識のうちに先手を打ってやってるんだろうなと思う。社会科のテストで隣の席の人間にチラリと24点の数字が見えてしまって周りに吹聴されるより前に先手を打って、自分の答案のオイシイところをピックアップして周りにアピールするように。頭が悪いんだ、やってもできないんだと言いふらして、根本の努力できない自分から目を背けるように。

 

僕の自虐を交えた切り返しがよほど気に入ったんでしょうか。今までサービス精神が旺盛すぎたのでしょうか。僕がまさか本当に留年するとは思っていない知人が未だにキャッキャと無邪気に、僕の引いたラインの外周から僕を弄ってきたりなんかしてくれる時には、場馴れのし方は出川か竹山かといった風情で、心を込めたツッコミでもって迎撃するのです。これが正常なコミュニケーションと呼べないことはよく分かっています。僕が現状を打破し、真っ当に生きられるようになるのは、この惨めな悪あがきからすっきり足を洗えたときかなって、こんな結論にするつもりはなかったけど、思った。この日記ももちろん、自虐ネタです。ニッコリ

 

(2015年3月14日の日記を加筆して)