試験時間終了直後の僕ほど謙虚な男はこの世にいない
「時間になりました。回答をやめてください」
絶望の表情を浮かべながら視線を上げ、無意識に浅くなっていた呼吸を取り戻すために大きく息を吸う。
やってしまった。もっと前から勉強しておけばよかった。本当に僕ってやつは、、、
講師の先生が解答用紙を回収する。白紙に限りなく近い僕の解答用紙を見て、先生は何を思うのだろう。
毎回のことだ。とっくに分かっているのだ。いまさら気づいたような顔を作っているが、20年生きてきて得た教訓の中でも最大級のものはこれだと思う。
「逃げたら逃げただけ現状は苦しいものになっていく。」
分かっているのに何も変えようとしない僕は、無意識下で破滅願望、自殺願望でもあるのではないかと自らを疑ってしまう。
「次はがんばる。なんなら挽回してみせる」
試験時間終了直後の僕ほど謙虚な男はこの世にいない。
自分の限界、身の程をよく理解し、周りの同級生に比べて遥かに劣る己の頭脳を認識。彼らになんとかついていくべく、彼らより多くの時間をかけ、多くの努力を実行することを至極当然のことと認め、次回の試験に向かってがんばっていこうと気持ちを新たにする。
試験の後、頭のなかではグルグルと、嫌でも猛省に次ぐ猛省が行われている。
こんな惨めな思いは二度と味わいたくない。
負け癖というものがついている。殊、ペーパーテストに関して言えば、僕はここ最近満足行くような成果を一切出せていない。そこに向かう過程もろくに踏まない。テスト勉強をせずに試験場に向かい、テストを受けて惨敗を喫するという、この世にこんな無駄があってよいものかと思うようなループから抜け出すことが、もう何年ものあいだできていないのだ。
このループから強引に脱する方法があるとすれば、それはずいぶん御無沙汰になっている、テスト合格を自分のがんばりで掴み取ることだけだ。これに関しては周りの誰の助けを借りても解決できない問題だ。よく言われる表現だと、「成功体験を積む」ということか。はっきり言って、僕の大学の進級は、それなりの(かなりの)努力なくしては成し得ない。今までの人生の岐路は運の良さと、諦めの良さで無難に渡ってきた自負があるが、そろそろ年貢の納め時である。逆に、逆に言えばだ。進級した日の僕は、きっと十分に己のがんばりを己に誇ってもいいはずだ。
思えば小6時の中学受験のころから怠け癖は炸裂していた。こうなると僕は根っからのサボり魔であり、客観的に見れば浮上の見込みはなく、将来の成功も望むべくもない話だと言い放たれても、僕には反論の余地がない。それでもこれは僕の人生。僕だけは、僕の可能性を信じてあげなくてはならないのだ。あいきゃんどぅーいっと。
だから僕は、
8月から、本気出す。